somuruのブログ

真のご家庭との出会い

ジェファーソンハウスの台所

何十人か忘れましたが、大変な人数がお食事をされるので台所は戦争状態!皿を洗っていると向こうから箸🥢が飛んできたりとイーストガーデンとは違い初めて使う台所なので韓国の姉妹たちも大変だったと思います。私は初めて洗ったステンドグラスを普通のスポンジで洗い傷をつけてしまいました。

ご子女様を何人も出産で取り上げた金ドクターとその娘さんとで料理の指示などされてました。

金シンギョクDr.はイーストガーデンの要所要所には

日本人が配属されていると言っておられました。

その時、私は妊娠2ヶ月でしたので、金Dr.は

心配して下さり何かあったら私に連絡するようにと言って下さいました。高齢出産で心配ですと言うと

大丈夫!と思えばアドレナリンが出て来て大丈夫になると励まして下さいました。韓国の姉妹たちが

お父様が残された水など私に飲ませてくれたりと皆さんで気遣って下さいました。

朝は秘書のウォンジョンさんがお父様がいつも飲まれる人参ジュースを作っていました。

お食事の後、お父様がメッコールで口の中をグジュグジュされるのでヘイオンさんに驚いて聞くと

韓国人はみなそうすると言われました。

私が食器を洗っていると一緒に洗っている

ミスター朱(その当時のワシントンタイムズ社長)

の奥さんが私にハングルで話しかけて

返事をしないので不思議に思って私が日本人だと知るとビックリしていました

韓国人に顔が似ていると良く言われます。

お父様とベンハー

ジェファーソンハウスでの昼は幹部の方たちとお食事をされ、そのあと歌を皆さんで歌ってすごしました。神山会長も歌われリンゴの唄ばかりでした。

リンゴ可愛やー可愛やーリンゴ♩私は真っ赤なリンゴです♩など。

私もとなりお父様が日本で過ごされた時に良く歌われた姿三四郎の歌を歌いましたが急な事で歌詞も忘れて、お父様がご一緒に歌って下さいました。

後から韓国の姉妹たちから、「私達は

お父様から歌えと言われた時の為に歌をいつでも

用意している。とも子も用意しとかないといけない」と言われました。本当に申し訳なくて

今度このような事があった時の為にと用意しました。その時が韓国の修練所の時に実現しました。

ソウル讃歌です。発音がおかしかったのか

お父様、小山田先生と笑って聞いておられました。

その時他の姉妹が、お父様にお会いして感激して

アボジ!アボジ!と言う度にお父様がアボニム

アボニムと言い直されていましたが、姉妹は気がつかずずーとアボジと言っていました。

修練所から帰る時、あまりにお父様とお別れするのが淋しくでバスの中からお父様のお部屋の3階をずーと見上げて心の中でお父様をお呼びしました。

そうしたら窓にお父様が現れて下さいました!

思い切り手を振ってみんなもお父様とお呼びしてお別れを惜しみました。お疲れでお休みになられていらっしゃったのにお父様ありがとうございました。

アメリカに話を戻します。

夜はみんなでベンハーを観ました。

目の前でベンハーを観られるお父様の背中を見ながらどのような ご心情で観ておられるのかと不思議な思いの中にいました。

ジェファーソンハウスでの和動会

台所の姉妹も和動会に加わり、自己紹介が始まりました。お父様が何双?子供は?等聞かれていましたが、韓国の姉妹が妊娠していて生まれたら

お父様に名前をつけて欲しいとお願いしたようでした。お父様も困った顔をされて、みんなに名前をつけて上げていないだろと答えられ、それでも譲らず最後はつけてあげると約束されていらっしゃいました。後で日本語に通訳してもらいわかりました。

実はその時、私も妊娠していましたので

韓国語が分かっていたら私もお願いするというような暴挙に出たかもしれません。

台所をしている韓国の姉妹はイーストガーデンにいた姉妹たちでご父母様と顔見知りのようでした。

館に手伝いに来ていた姉妹は全て国際カップルでした。私だけが日日でした。私の番になり

子供は?と聞かれ

「ファーストベイビー is here」と大変なる

brokenEnglisで答えてしまいました。

たぶんお父様は日本語で聞かれたと思いますが、

何故そのように答えたか今も謎です。

ウエスタンのメンバーも大爆笑でした。

何双?「1610双です!」と堂々と答えました。

後になり何故「1610双で祝福を頂きありがとうございました。」とお答え出来なかったのかと

ご父母様のご苦労も分からない幼い自分に悲しく

申し訳ない思いになりました。

そして相手は?「日本人です。」すると

お父様は、「国際結婚がいいんだね。」と言われました。私は「・・・」状態でしたが、後になり

その場にいた姉妹達は2075双でみんな苦労しているのをご存知のお父様があえてそう言われたのだと

理解致しました。別の意味もあったのかも知れませんが、本当に親のご心情溢れるご父母様でした。