somuruのブログ

真のご家庭との出会い

ジェファーソンハウスの敬拝

5時からの敬礼にご父母様、ご子女様

幹部達が揃いましたが、顕進様が中々

2階から降りて来られません。

権進様が2階に呼びに行ったり来たりされて

やっと顕進様が降りて来られました。

そして敬拝が始まりました。

後で顕進様が照れたように

夜にコーヒーを飲んで寝られず

明け方に寝てしまったと言っておられました。

コーヒーがお好きな顕進様ならではのエピソードです。

お母様はコーヒーの美味しい配分は

キリマンジャロとブラジルを7対3と言われておられ

バージニアのあちこちを探し回りましたが

中々見つからなかったそうです。日本に輸出されて

数があまりないとの事でした。比率はどちらが7か3が忘れました。

小学生頃の権進様でしたがとても可愛くて

カセットテープの入ったボックスを大事に持っておられました。お出かけになる時に忘れてしまい

私が探しに行くと、日本語で「お姉さん早く早く」

と大きな声で呼んでおられました。イーストガーデンで日本のお姉さん達と暮らしておられるので

日本語を覚えておられました。

お出かけになった後、お部屋の掃除をしました。

権進様か善進様かの(どちらの方か忘れました)

Tシャツがありましたが、何箇所も

繕っていました。質素に生活しておられる

ご子女様でした。

ジェファーソンハウスでの久保木会長

ニューヨークからバージニアまで車で来られた

ご家庭でした。お父様は助手席に座られ

その後ろが久保木会長だったそうです。

お父様が椅子を最大限バックされ、

久保木会長は足を縮こませて6時間ぐらいをずーっとそのままだったそうです。釣りの時も吐きながらも命懸けで侍られたご心情はこのような時も

同じご姿勢でした。

館に到着されて久保木会長は疲労困憊で

ご家庭と幹部達の夕食も出られずお部屋で休まれました。

久保木会長にお水をお持ちする時に、

お母様とお会い致しましたら、「久保木?」に持って行くのと聞かれました。イェーと返事致しました。ハングルが話せない悲しさでそれ以上何もお話出来ませんでした。

久保木会長にお水をお持ちして、車でのご苦労をお聞き致しました。

お疲れの久保木会長(図々しくも)に

娘の名ずけ親でもいらっしゃいましたので娘の名前を色紙に書いて頂きました。アメリカで生まれたので日本からFAXでの命名でした。

「この名前は大衆誰からも好かれる名前だ」

と言って頂きました。お疲れの久保木会長

本当にありがとうございました。

お父様とグレープフルーツ

お父様にグループフルーツをお出しする時

私も料理担当の韓国の姉妹とひと房ひと房綺麗にむいて準備させて頂きました。

お父様がお食べになった時、あまりの酸っぱさに

顔をすぼめられ「ワシントンのグループフルーツは酸っぱいね」と言われました。

誰も味見をしていなかったのですが、

先にするわけもできず、お母様がおられたらして頂けたのかもしれません。